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プロフィール:日暮泰文(ひぐらしやすふみ) インディペンデント・レーベル・ヴェテラン。東京(新宿柏木)生れ。中学・高校生の頃、R&Bやブルースといったブラック・ミュージックに心酔、ブルースを広く世に知らしめようというミッションを抱き、ブルース愛好会を60年代に鈴木啓志らと結成。そのミニコミ会報誌を、書店ルートに乗せる「ザ・ブルース」(現在のbmr)誌として刊行することによってブルース・インターアクションズを高地明とともに興す。同時に当時類例のほとんどなかった洋楽インディペンデント・レーベル「Pヴァイン」を75年に設立。音楽ライターも続けながら、スロー・ペースで業容を拡大。CD時代になって多ジャンル(ブラック、ラテン、ロック、レゲェ、ワールド、Jポップなどすべて非メインストリーム音楽)、少量多品種リリースのビジネス形態を確立させた。2006年、メディア業界でこだわりの音楽路線を進むCSチャンネル、スペースシャワーネットワークと業務資本提携、M&Aにより翌年リタイアする。著書に「ブルース心の旅」(講談社文庫)、現在ロバート・ジョンスンを深く聞くためのテキストを上梓すべく準備を進めている。 |

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プロフィール:日暮泰文(ひぐらしやすふみ) インディペンデント・レーベル・ヴェテラン。東京(新宿柏木)生れ。中学・高校生の頃、R&Bやブルースといったブラック・ミュージックに心酔、ブルースを広く世に知らしめようというミッションを抱き、ブルース愛好会を60年代に鈴木啓志らと結成。そのミニコミ会報誌を、書店ルートに乗せる「ザ・ブルース」(現在のbmr)誌として刊行することによってブルース・インターアクションズを高地明とともに興す。同時に当時類例のほとんどなかった洋楽インディペンデント・レーベル「Pヴァイン」を75年に設立。音楽ライターも続けながら、スロー・ペースで業容を拡大。CD時代になって多ジャンル(ブラック、ラテン、ロック、レゲェ、ワールド、Jポップなどすべて非メインストリーム音楽)、少量多品種リリースのビジネス形態を確立させた。2006年、メディア業界でこだわりの音楽路線を進むCSチャンネル、スペースシャワーネットワークと業務資本提携、M&Aにより翌年リタイアする。著書に「ブルース心の旅」(講談社文庫)、現在ロバート・ジョンスンを深く聞くためのテキストを上梓すべく準備を進めている。 |
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| コラム 2009/06/19 |
| 第12回 起業は奇業で企業となる |
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起業を目指している人、あるいはそれができるものなのだろうか、と内心考えながらサラリーマン生活を送っている人は少なくないだろう。ぼくは75年に(登記上)起業はしたけれど、よし会社興してやっていくぞ、というような高邁な目標がどの程度あったかは今思い起しても漠としている。 法人化した大きな理由は、隔月誌として出していた雑誌ザ・ブルースが、ファン層の拡大からみても、一般書店に流通させてもいけるのではないかと考え始めたからだった。この音楽に理解のある専門性の高いレコード店、およびごく一部の都内大型書店にのみそれまで直接卸していた雑誌を取次ルートに乗せるということを意味している。だが取次での口座開設は容易なことではなかった。小規模の出版経営者であれば想像のつく通り、なにしろ相手は大取次という代官様である。この頃も今も変っていないと思うが、取次は大手2社で出版物市場全体の8割を占めるという寡占状態にある。そこへ同人誌に毛の生えたような雑誌がのこのこ出かけ、直ちに取引開始などとなるはずもない。取次社内では新たな版元との取引開始の可否を諮る会議が毎週行われているようで、何回かはねられたあと、ようやく一社日本出版販売、通称ニッパンとの口座開設にこぎつけた。もう一社のトーハンとはその後もしばらく取引のできないまま、ちょうどこの頃設立された、日本の出版流通に問題ありとして、小規模の出版物を流通させる窓口ともなる地方小出版流通センターを経由しての販売となった。1976年、ニッパンに搬入された最初のザ・ブルース誌は5千部弱、返品率は50%近かったかと思う。それまでさほど意識もしていなかったこのヘンピンリツというものにこのあとずっと悩まされ続けることになる。 ザ・ブルースという雑誌はもともとが会報であったから、趣味が高じた同人の集まりのような性格が強かったが、高まるブルースへの関心、ブルース・ブームとさえ言われた状況から、ここまでくると仕事としても成り立たせるべきではないかとも思うようになる。更に75年から編集に加わった、まだ大学生の高地明の実務力によっても弾みがついた。目の前にあることはサッと手際よく片付けていかないと気の済まない男であり、出来上がった本誌を担いで都内のレコ店にあっという間に納品していってくれた。車などないので、納品は電車と徒歩である。結局この高地明と30数年ともに会社をやっていくことになるのだが、振り返ればよくついてきてくれたものだと思う。ジャンプ・ブルースのバンドとしてとみに評価の高い吾妻光良さん(スウィンギン・バッパーズのリーダーにして現在日テレ・テクニカル・リソーシズ社長)は以前、ぼくと高地の関係を指して「旦那と番頭の関係がうまく機能している」というような意味のことを雑誌に書いていたが、たしかに言い得て妙なところがある。あたまで色々考えるだけで先に進めない人には、考えを推し進め実行してゆく人物がいかに必要かということだ。 起業はしたが、先見の明があったとか、そういうことではなく、かなり周囲の状況に押されるように進んでいったというほうがより近い。70年代半ばにはほとんどのレコード会社がブルースを毎月のようにリリースするという異常事態ともなっていた。雑誌広告は難なく取れる。チェス・レコードを出していたビクター音楽産業にこれなら2ページ出してくれるのではないかと電話すると、宣伝課長の佐藤修さん(現ポニーキャニオン会長)が「4ページもらえないかな」。 あるレコード会社が本誌に掲載した広告のコピー「はい、ブルース時よ!」・・・ブルースの啓蒙活動をしてきたつもりが、これはもしかすると、蛇のために蛙を太らせた(※1)だけのことなのか、というブルースの常套フレーズが頭に浮かぶ。玉石混交のリリース状況。しかしブームだから長く続くわけもない。76年には下り坂に入っていった。 それまで大量にリリースしていたレコード会社も急にスローダウン。ここへ至って思ったのは、やはり自分のコントロールできるレーベルを持っていることの必要性だった。ブームとか、メジャーの思惑などと関係なく動けること。それはまず、自社のレーベルから自分の考えるところの、最上のモダン・ブルースをリリースするということだった 75年の夏、ぼくはテネシー州メンフィスのダウンタウンから歩いても遠くはない、しかし既に一帯は黒人街という場所にあるロレインズ・モーテルの食堂に座っていた。自社レーベルの第一弾とすべくカルヴィン・リーヴィというアーティストの原盤を持つプロデューサー、カルヴィン・ブラウンとの交渉のためだ。その7年前、キング牧師が宿泊、ベランダに立ったところを銃殺されたモーテルであり、キングの信奉者であるというブラウンはここに住んでいた(現在は公民権運動の記念館になっている)。南部の人種差別を告発する、当時のコンテンポラリー・ブルースとしては最高の作品と捉えた「カミンズ監獄農場」のLPを作りたい。そこには東京の部屋で聞く音楽とは同じ音でも違う色彩があった。わずか8畳程度の大きさの食堂、しかもジュークボックスが置かれている。そしてコインを入れて曲の流れ出るのを待つ。看守の冷たく響きわたる足音のようなイントロから始まり、ベースの刻む南部ビート、ソウルフルな歌声、ギターソロが出る頃には、ブルースの故郷にたたずんでいるというこの上なく落ち着ける気分と、薄めたり、メインストリームに迎合したりしない音楽の衝撃が混ざり合い、ある種のエクスタシーに浸っていた。レコードではそれまでに何度も聞いてきたにもかかわらずである 。(※2) これが自分の仕事か、なんということなんだ、こんなことがあっていいのか・・・それは自分の熱望を起業に結びつけることができると知った男の忘我の悦びだったのだろう。あとあとまで持ち続けていくことのできたこのときの興奮が、当時珍しかった洋楽独立レーベルの発端である。起業を最も低い重心で支えるのは、一般レヴェルではどんな奇異のマテリアルであったとしても一生ものの素材と、それを地道に仕立ててゆく人間の安定した心の持ちようではないだろうか。(了)
 ブルース・ピアノの巨人、リトル・ブラザー・モンゴメリー(69)と演奏曲の 打ち合わせをする筆者。75年7月、第三回ブルース・フェステイバル、 日比谷野音の楽屋にて。このあとステージに立ったモンゴメリーは、オフ ィス・ビルに囲まれた一画の解放区でメランコリックなブルースを東京の 空に放った。ライヴ録音としても残されている。写真=大熊一実
(編集部より) 今回で連載コラム『孤高のインディペンデント企業』は最終回となります。このコラムでは日暮泰文氏の起業に至るまでの経緯やその当時の想い、活動内容といったものが中心となりましたが、当然、物語はまだまだ序章です。日暮泰文氏の今後の活動などはこちらのページでもご紹介させていただく予定です。
※1 関連リンク:「Sonny Boy Williamson/Fattening Frogs for Snakes」(5曲目)を試聴:J&R
”1957年の今になり、ミスったことは全部直そうと ともだち、女房、ほかのみんなにも言っとこう 蛇にやっちまうだけのカエルだから そいつを太らせるのは止めにしよう”
*1975年まだ女房はいなかったけれど、ちょっと考えさせられる歌詞として頭の中で45回転していた。
※2 関連リンク:「Calvin Leavy/Cummins Prison Farm」を試聴
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